こんにちは!LOVE丹波編集部です。今日は兵庫県丹波市にゆかりのあるライターさんから丹波市の思い出を執筆いただきましたのでご紹介させていただきます。歴史ある丹波市には色々な人の思い出があるんです。
丹波市は私のルーツ
「たんば」と聞けば、私の体の中のDNAが嬉しそうに自らのルーツを感じているように思います。
私にとって丹波市は母方の祖父の出身地です。幼いころには祖父母や叔父叔母たちが田舎に行くよと言って連れて行ってくれたことを今でも覚えています。牧場で搾りたての牛の乳をコップに入れて飲ませてもらった時のあたたかい美味しさ。
懐かしく、思い出します。
丹波産の松茸は憧れの味
秋になると丹波市から松茸が送られてきて、美味しくいただきました。テレビなどで丹波で採れるさまざまなご馳走の紹介番組を見ると、「そうそう、丹波は私のルーツ」と誇らしい気持ちになります。
今では高級料亭などでしかなかなか食べれない高級品ですが、丹波市の人は、自分の山でたくさん松茸が採れたのですよね。また食べてみたい思い出の味です。
丹波篠山連隊の旗手だった祖父
そして、丹波が出身の祖父についても誇らしく思うことがあります。それは、祖父が青年だったころのことです。「丹波篠山連隊」という日本軍の連隊が丹波にあったそうです。その連隊旗の旗手として選ばれたのが祖父だったとか。
連隊旗は天皇陛下からお預かりした物だから、心身共に立派な人間でなくては旗手には選ばれないのだそうです。その連隊旗手が祖父だったというのは、孫の私にとってもちょっとした自慢です。
東京2020オリンピック聖火ランナー
丹波という土地が祖父を育てたのだと思うと、今でも丹波の地で暮らす人たちが健全であるだろうと思えてきます。そして、戦争も終わり時が経った今年。またひとつ、丹波市での嬉しく誇らしいことがありました。
それは「東京2020オリンピック聖火リレー」です。昨年神戸市で予定されていた聖火リレーが篠山城跡三の丸広場で行われました。この聖火ランナーとして走ったのが母方の叔父です。
叔父は74歳。本当は前回の東京オリンピックで聖火ランナーとして走るはずだったのですが、あいにく台風がやってきたために聖火は自動車に載せられて移動したのです。選ばれた叔父たちは涙を飲みました。その無念の叔父たちが篠山城跡を聖火ランナーとして走ることができたのです。
どんなに嬉しかったことでしょう。
今はもう亡くなっている祖父も息子である叔父の聖火ランナーとしての雄姿をきっと嬉しそうに見ていたことだと思います。丹波はたくさんの笑顔を私たちに与え続けてくれています。
57年越し、つなげたトーチのお話は朝日新聞デジタルで読むことができますので、当時の皆さんの思いを想像しながらぜひ一度閲覧してみてください。